上 大 岡・歴 史 よ も や ま 話
       
      公設市場は上大岡での商店街の始めだった!

      著者紹介
       長谷川敏雄
       長年航空写真測量会社に勤務し地図作りに従事。現在港南歴史協議会に所属し郷土の歴史秘話を探して奮闘中。(港南区大久保に50年居住)
      コラムタイトル
       1.上大岡・地名の変還
       2.上大岡駅の場所は偶然だった
       3.上大岡のランドマークだった大見湯
       4.上大岡にあった陶器工場
       5.戦前上大岡にいた外国人
       6.上大岡に「箱根」?
       7.駅前新道の目的は市電の延長だった 
       8.商店のはしりだった公設市場
       9.洪水の常襲地だった上大岡
       10.軍需工場の社宅跡にヨーカ堂が
       11.上大岡を用水路が流れていた
       12.上大間にあった火葬場
        
       
       上大岡駅改札口を出て空を見上げると超高層ビルが目に入って来ます。このビルは駅前再開発事業で平成16年に完成しました。このビルの低層階ショッピングゾーン“カミオ”にある食料品ストア「ひまわり市場」はいつも買物客で賑わっています。実はこの「ひまわり市場」は上大岡で一番古い商店街(市場)が再開発で閉店した後、商店主達が立ち上げたストアだったのです。
      【再開発で公設市場は「ひまわり市場」に変身した】

       昭和初期、日中戦争の長期化により生活必需品が不足、価格は高騰し庶民生活は不便をきたしていました。そこで横浜市は商業施設が不足していた郊外部に市設小売市場を建設する事になり、上大岡にも昭和16年2月「横浜市設 上大岡小売市場」として木造一階建で、鮮魚・青果・乾物・肉等の生活必需品を扱う商店14店舗が開店しました。

      【昭和30年代の公設市場】〔桜岡小学校蔵〕

       戦後、高度成長期に急速に宅地化が進んだ上大岡でしたが、地元では「公設市場」と呼ばれ、多くの買物客で狭い通路は人波で溢れ返り、賑わっていました。都市化が進むにしたがって市場周辺では大型商業施設が開店し、徐々に「公設市場」の地位は低下、現在その役割は現在の「ひまわり市場」に受継がれていきました。今では「こうせつ」の残照は「ひまわり市場」のレシートに会社名として残っています。

      【昭和16年2月に開場した当時の写真:鎌倉街道(旧道)側から撮影】
      〔横浜市設小売市場要覧 昭和16年5月 (横浜市図書館蔵)〕



      【上大岡で一番賑わった商店街「公設市場」】
      〔昭和32年版 横浜市南区住宅地図 (横浜市図書館蔵)〕】


       
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