上 大 岡・歴 史 よ も や ま 話
       
      上大岡を用水路が流れていた

      著者紹介
       長谷川敏雄
       長年航空写真測量会社に勤務し地図作りに従事。現在港南歴史協議会に所属し郷土の歴史秘話を探して奮闘中。(港南区大久保に50年居住)
      コラムタイトル
       1.上大岡・地名の変還
       2.上大岡駅の場所は偶然だった
       3.上大岡のランドマークだった大見湯
       4.上大岡にあった陶器工場
       5.戦前上大岡にいた外国人
       6.上大岡に「箱根」?
       7.駅前新道の目的は市電の延長だった 
       8.商店のはしりだった公設市場
       9.洪水の常襲地だった上大岡
       10.軍需工場の社宅跡にヨーカ堂が
       11.上大岡を用水路が流れていた
       12.上大間にあった火葬場
        
       
      【(2)富士スーパーの裏道の形状!】
      (下大岡用水路が地形の高低差によって曲っているのが判る)

      あなたは富士スーパー上大岡店裏の路地をご存じですか?そこは平坦地にしては異様に曲りくねった道を思い出される事でしょう。なぜこの様な形状なのか不思議に思われたでしょう。実はここは江戸時代に作られた用水路跡地だったのです。
      【下大岡用水路:現在地形図と明治15年地形図】
      (今昔マップより)
      はっきりした年月は不明ですが、江戸時代の後期には大岡川と日野川が合流する少し手前、関の下の「かねさわ道」と近接した場所に下大岡村の堰が作られました。ここで取水した水の水利権は上大岡村にはなく、江戸時代後期の古文書によると、この用水路を巡っては両村で再三紛争がたえなかった様です。

      【(1)関の下交番前の「旧かねさわ道」】
      (歩道部分が広がっている辺りから用水路が始まっていた!)

      ちなみに上大岡村の用水は鹿島神社下の「三反歩の池」と昔の真光寺下の「一反歩の池」の溜池の水だけを頼りとし、日照りの時は村の中を流れていた下大岡村用水路を眺めているだけでした。その為下大岡村に比べて上大岡村の米の石高は低かった様です。

      この用水路は戦前までは使用されていた様ですが、いつの間にか埋めたてられ道路として使われる様になりました。上大岡駅周辺の再開発で「カミオ」が出来るまで、中央商店街から上大岡駅への近道として多くの人達が利用していましたが、今では駅周辺で二か所のみ用水路の面影を残すのみとなりました。


      【(3)(下大岡用水路の跡地が路地になった)


      【(4)(下大岡用水路の水量調整用の千保吐出口)


      【上大岡村絵図(江戸時代後期)横浜市歴史博物館蔵】
      (関の下の堰から大岡川の水を分水し用水路が流れている!)

       
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