上 大 岡・歴 史 よ も や ま 話
       
      軍需工場の社宅跡にイトーヨーカドーが!

      著者紹介
       長谷川敏雄
       長年航空写真測量会社に勤務し地図作りに従事。現在港南歴史協議会に所属し郷土の歴史秘話を探して奮闘中。(港南区大久保に50年居住)
      コラムタイトル
       1.上大岡・地名の変還
       2.上大岡駅の場所は偶然だった
       3.上大岡のランドマークだった大見湯
       4.上大岡にあった陶器工場
       5.戦前上大岡にいた外国人
       6.上大岡に「箱根」?
       7.駅前新道の目的は市電の延長だった 
       8.商店のはしりだった公設市場
       9.洪水の常襲地だった上大岡
       10.軍需工場の社宅跡にヨーカ堂が
       11.上大岡を用水路が流れていた
       12.上大間にあった火葬場
        
       
       上大岡西三丁目にある「イトーヨーカドー上大岡店」は昨年開店40周年を迎えました。昭和47年まで、ここには日平産業の社宅がありました。この会社の戦前の名称は大日本兵器産業といい、金沢区の谷津坂駅(現能見台駅)前にあった工場ではゼロ戦の機銃を作っていた会社でした。
      【開店40年を経た「イトーヨーカドー上大岡店」:ここに大日本兵器産業の社宅があった】
      昭和16年戦争が激化してくる中、軍需工場の労働者向けの住宅建設を目的にした国策団体「住宅営団」は、軍需工場の多い京浜急行沿線の上大岡駅近くのこの地にも工事を始めました。物資が不足がちの時代で昭和18年3月に完成、大日本兵器産業は116戸の住宅を購入し、銃後の産業戦士達の憩いの地となりました。

      「日平産業四十年史」によると「当時一町内にも相当する庭付き住宅の社宅街は壮観で、戦前戦後の住宅難の際は羨望の的であった」と書かれており、当時の住宅水準ではかなり恵まれた住環境であった様です。戦後も引き続き社宅として使用され、日本の高度成長を担っていました。その後老朽化した社宅群は昭和47年に取壊され、跡地はイトーヨーカドー上大岡店として現在に至っています。
      【同じ形の建物が並ぶ社宅街:左奥が戦前の大日本兵器産業社宅!】
      (昭和34年頃撮影 桜岡小学校蔵)


      【軍需工場の上大岡住宅地:大日本兵器産業社宅跡にヨーカドーが出来た!】
      (昭和22年米軍撮影航空写真)

      【日平産業社宅の隣の日産自動車社宅にてのスナップ写真 昭和34年頃(秋庭弘子蔵)】

       
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