昭和16年戦争が激化してくる中、軍需工場の労働者向けの住宅建設を目的にした国策団体「住宅営団」は、軍需工場の多い京浜急行沿線の上大岡駅近くのこの地にも工事を始めました。物資が不足がちの時代で昭和18年3月に完成、大日本兵器産業は116戸の住宅を購入し、銃後の産業戦士達の憩いの地となりました。
「日平産業四十年史」によると「当時一町内にも相当する庭付き住宅の社宅街は壮観で、戦前戦後の住宅難の際は羨望の的であった」と書かれており、当時の住宅水準ではかなり恵まれた住環境であった様です。戦後も引き続き社宅として使用され、日本の高度成長を担っていました。その後老朽化した社宅群は昭和47年に取壊され、跡地はイトーヨーカドー上大岡店として現在に至っています。
