これで上大岡近くを通る事となったのですが、上大岡駅の予定地点は現在の場所ではなく、旧鎌倉街道沿いの現朝倉クリニック前あたりでした。それが震災後の横浜市の都市計画の指示により主要な道路とは立体交差をさせねばならず再び計画を変更、最戸橋近くから大岡川と鎌倉街道を鉄橋で立体交差し、上大岡集落の端にあたる“丘の上”に駅が作られる事になったのです。  【開通(昭和5年4月)直後と思われる“丘の上”の上大岡駅】(桜岡小学校蔵)
この様に上大岡駅は“偶然の連続”によって現在の場所に作られ、この“丘の上”に広い駅構内の敷地を確保できた事が、後に上大岡駅が大きく発展していく礎となったのでした。 |